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〈食と美と健康〉 お茶の多様性:お茶の色                    

 お茶は緑色なのに、なぜ、茶色って言うのか?について、述べてみたい。このことについては、2021年8月13日のNHK「チコちゃんに叱られる!」でも取り上げられていた。

 お茶の茶という漢字からは、茶色の茶である。しかし、実際のお茶の色は、黄緑色であり、濃茶や抹茶では、緑色であり茶色ではない。それでは、何故、茶色という言葉が生まれたのでしょうか。それは、普段飲んでいるお茶とは違い、もともとお茶が茶色であったからです。例えば、布巾などにお茶がしみ込むと、いわゆる茶色に染まったことから、この言葉が生まれたらしい。そもそも日本にお茶が伝わってきた平安時代は、茶葉を蒸して固めたものを砕いて粉にし、それを煮出して飲んでいた。また、一般庶民がお茶を飲みはじめた鎌倉時代においても、お茶は摘んで干した茶葉を煮出したもので、色は、赤と黒が混ざったような、いわゆる茶色でした。また、その後、江戸時代の初期までは、お茶の色は緑色ではなく、褐色の茶色だったようです。その後、お茶の製法が改良されて、今のような緑色になりました。

 色の名前には、その物を連想させるのが多い。空色は、晴天の時の空の明るく淡い青色を思い出す。その点、お茶と茶色とは、イメージが合わないような気がする。そこで、江戸時代に生まれたという色の名前を利用してはどうだろうか。鶯は春になるとホーホケキョの美しい囀りを聴かせてくれる「春告げ鳥」とも呼ばれる。鶯の羽のような暗くくすんだ黄緑色。江戸時代からの色名ですが、当時は茶系が流行色であったため粋な色として、鶯色を鶯茶(うぐいすちゃ)と呼んだらしい。

そこで、お茶の色をさすとき、少し黒っぽい黄緑色を鶯茶色と呼んでみてはどうだろうか。最近、粉茶や抹茶が好まれており、お茶の色をさすときこの鶯茶を用いると、随分、感じが違うように思われる。

 一方、お茶が茶色から現在の緑色に変わった経緯も興味深い。江戸時代に「青製煎茶製法」というお茶の製法が発明されたことに始まる。

宇治茶を栽培していた永谷宗円(1681~1778年)らが、お茶を製造するときに焙炉(ほいろ)で乾燥させながら揉むという手順を開発したことに始まる。この改良された製法により茶葉も緑色に仕上がり、また、煎じたお茶も茶色から緑色になった。味も優れていたことより、この緑色の新しい煎茶は大衆に好まれ、「宇治の煎茶」は名実ともに日本を代表するお茶の代名詞になった。普段飲むお茶の色からも、長い歴史の変遷が感じられ、一口にお茶といっても大変に奥深いものです。

静岡県立大学名誉教授
農学博士  横越英彦   著

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※使用画像の「のれん」は茶染めで染めてあります。(静岡市「喫茶一茶」の店舗)

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