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〈食と美と健康〉お茶の多様性:お茶は朝から飲もうー喫茶去(きっさこ)                     

 たまに喫茶店に出かけボーっとすることがある。そんな時、禅の言葉をたどり、心を落ち着かせることもある。禅に詳しいわけではなく、ただ、禅語を辿っているだけであるが。茶席で馴染みの「お茶でも召し上がれ」という内容の禅語、喫茶去(きっさこ)がある。来客があれば、だれにでも分け隔てることなくお茶を提供するということらしい。茶道においては、お客さんの身分や肩書、老若男女にかかわらず、平等に接する心の在り方を意味するらしい。私が子供の頃、お茶は、どこに行っても出してくれる、そんな飲み物であったような気がする。そんなことを意味しているのでしょう。現在は、必ずしもそうではなく、お茶の飲み方も随分と変わってきている。生活環境は、何かとせわしくなり、お茶を一服とはいかなくなってきた。また、お茶の健康に対する多くの知見が明らかになり、上質なお茶の生産のために地道な努力がはらわれ、それに対する対価が当然発生するからです。

 さて私が研修のためボストンの大学に出かけていた時、アメリカ人のバイタリティの一つはコーヒーではないかと感じたことがある。早朝、まだ薄暗いうちから大学に出かけていたが、研究棟の廊下をいれたてのコーヒーの香りが漂ってくると、それに惹かれてカンファレンスルームへ、いくつかの研究室から人が出てきて、紙コップにコーヒーを入れに行ったものです。私は、毎朝コーヒーを飲む習慣はなかったが、香りに誘われ毎日飲んでいた。日中、何度もそんなことがあり、これはコーヒーが、アメリカ人の活力の源ではないかと感じていました。

 日本では、朝、お茶を飲むことの良さの諺がいくつかあります。「茶は体に良いので毎朝飲め」という「朝茶に別れるな」、また、面倒でも飲めという「朝茶は七里帰っても飲め」、「朝に茶を飲めばその日は良いことがある」という「朝茶は福が増す」、「朝腹に茶漬け」など。お茶を飲むのを忘れると、縁起が悪いとさえ言われてきた。お茶を飲むことが、日本人の精神性に大いに関わってきたと思われます。

 お茶には色味や香り、味といったこと以外に、その成分には、多くの効能のあることが明らかにされ、健康寿命の延長に貢献すると思われます。お茶の良さは明らかなのに、一昔前と異なり、現代人は、お茶を飲む機会が随分と減ってきました。まず、喫茶の時間を持つゆとりと、お茶が飲める環境を持つことが大切です。無意識にお茶を飲んでいたのが、色々な原因によりお茶を口にする機会が減ってきているので、今は、意識的に摂取する必要性を感じています。

静岡県立大学名誉教授
農学博士  横越英彦   著

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